プロフィール|理学療法士 壱岐一哉


プロフィール

子供のころ

1963年に愛知県高浜市に生まれました。
5歳の時に愛知県知多郡武豊町に転居し、武豊小学校、中学校、高等学校と全て武豊で学びました。
ちなみに「たけゆたか」ではなくて「たけとよ」と読みます。(武豊さんが町に来たこともあります。)

子供時代は、昆虫や動物がとても好きで、そのせいか理科や社会が好きでした。
家では外でよく遊んでいました。
テレビゲームはまだ無かったので、近くの川で魚とりをしたり、近所の子供達で野球や缶蹴りなどをして遊んでいました。

理学療法士になろうと思ったきっかけと学生のころ

そんな平凡な毎日を送っていましたが、高校入学の春、母が突然髄膜炎という病気になってしまい、一時は危篤状態となりました。
一命はとりとめたものの対麻痺(下部体幹と両下肢麻痺)の後遺障害が残り、車いすの生活となりました。
このことがきっかけで理学療法士を知り、将来は理学療士になり母を治したいと思っておりました。

高校卒業後、その年に出来た専門学校愛知医療学院に入学しました。
ちょっと自慢になりますが、専門学校では主席で入り主席で卒業しました。
自分でもよく勉強したと思いますが、父はサラリーマン、母は障害者で私の学費を出すのが大変だったのでこれ以上負担を掛けたくないと思い、お金が掛かる再試は絶対に受けたくなかったというのが本当の理由です。

専門学校時代は、社会人経験者の方々が何名か同級生になり、見ること聞くことがとても新鮮で興味深く、とても楽しい学生時代でした。
ただ、実習は本当に厳しく、そのお陰で随分就職後に役に立ちました。
この影響か、若かりし頃自分が学生指導の立場になった時は、学生からするとかなり厳しかった様で、学生の間では「鬼の壱岐」で有名だったようです。
皆さんもそうだと思いますが、年とともに丸くなり「仏の壱岐」と呼ばれるようになりました。

総合病院就職から退職まで

専門学校卒業後、刈谷総合病院に就職いたしました。
当時は、老人保健施設、通所施設などはまだありませんでしたので、卒業後は病院か診療所に就職するのが当たり前の状況でした。

就職して2年目の春から日本福祉大学の夜間部に入学しました。
理由は単純で、高校時代の同級生の多くが大学に行きましたので、大学とはどんなところか体験したかったのです。
そこでとてもラッキーだったことは、二木立教授と出会えたことでした。
入学して知ったのですが、二木立教授はリハビリテーション専門医でありながら医療経済学を研究してみえました。
当たり前ですがとても頭の良い先生で、レポート添削もしっかりとしていただき、とても勉強になりました。

職場では、学卒の理学療法士がいなかったこともあり入職直後からナンバー2、次期課長候補でしたので、課長が休みの時には、他職種先輩の何人かみえるにも関わらず、実質的な責任者としてミーティングなどもこなしておりました。
とにかく、急性期病院勤務、学会発表、学生生活、実習生指導、愛知県理学療法士会(理事も経験させていただきました)のお手伝い、遊びと、とても忙しい毎日を送っておりました。

刈谷総合病院在職中は、色々な勉強をさせていただきました。
臨床はもちろんのこと、企業系(トヨタ系)病院だったので、接遇、管理者研修など様々な研修がありました。
また上司、同僚、部下との人間関係にもまれ、新しい施設の立ち上げも経験できました。

それから、刈谷市は企業城下町で患者さんに中小企業の社長や大企業の社長・会長が何人かみえ、その方々の話がまた勉強になりました。
当時は、よく分からなかった面も多かったのですが、若いころから自分で何かをやることに憧れていたせいでとくに興味を持ち、今にして思えばこんな事を教えてくれていたのか、と思う事が多々あります。

そんな病院を辞めるきっかけとなったのが、療養型病院の立ち上げでした。
ちょうど30代後半で、中間管理職としてこのままで良いのかという思いと、臨床でもう少し急性期をやりたいという思いがある中、どうしても療養型の立ち上げをやれとの命令でした。
こんなことではいけないと思うのですが、人生経験も、勉強も足りなかった私は仕事に対するモチベーションが、急激に下がってしまいました。
当時、思い切って急性期病院に転職していれば、今の仕事はしていなかったと思います。
結局療養型病院の立ち上げに参加し、その後勤務もしましたが色々あって平成13年3月刈谷総合病院は退職しました。

いきいきヒューマンネットの生まれるまで

これを機会に自分で何か始めようと思い、車がとても好きだったので、中古自動車売買のフランチャイズに加盟しました。
ただ、直に収入には結びつかないので、半日程度は非常勤で理学療法士として働きました。
今は、人手不足なのでそんな働き方でも生活していくことは可能でした。
このころの色々な種類の施設での勤務経験が今の仕事に大変役立っています。

そんな中、理学療法士が急に退職して困っているという病院からお話が入ってきました。
でも、サラリーマンに戻る気は無かったので、出来る範囲でお手伝いしますということで話がまとまりました。
そこに、私がいけない日を埋めようと知り合いの理学療法士に声を掛けて非常勤に入ってもらいました。
そんなことをしながらたまたま、その病院のスタッフが足りてきたので、今来てくれている先生を断らなくてはならなくなってきました。

そのときタイミングよくあるクリニックが非常勤募集している話を聞きました。
一度見に行って良ければそちらで働いてもらおうと思い、院長先生にお電話をして見学にいきました。
そのクリニックが良いところでここなら良いだろうと知り合いを紹介いたしました。

そのとき、そこの院長先生が「こんなことをしてくれる人がいたら助かるなー」と一言いわれました。
これが、「いきいきヒューマンネット」をはじめるきっかけとなりました。

今の仕事は、私の過去の経験が全て生かされています。
人生に無駄は無いと聞きますが、まさにその通りと思います。

今思うこと

人は、本当に自分の「やりたいこと」「好きなこと」をしているときに大きな力を発揮します。
医療保健福祉介護の仕事は、人相手の仕事です。
自分が「幸せ」でないと人には「優しく」なれません。

自分の気持ちに合った職場で働くことは、自分を「幸せ」にするだけでなく、患者さん、利用者さんも「幸せ」にします。
また、施設もそんなあなたが働いてくれていることを「喜び」ます。

これからも、皆様のお役に少しでも立てるよう。
一歩一歩、「改善」を繰り返しながら、頑張っていきます。
皆様の「ありがとう」の言葉が仕事の原動力になっております。

これからも応援よろしくお願いいたします。

株式会社いきいきヒューマンネット
代表取締役
理学療法士 壱岐 一哉

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